COSMIC BODY

心・体・意識とつながって生きる 神聖なる性を開き内なる女神を覚醒させる 自然やいのちの仕組みに沿った生き方へ 3人の子育て オルタナティブスクール 人をエネルギー体として観る医師 人と社会と地球が 調和してゆけるように 

主体的な時間が 起こっていくこと

30代になってから、さらにここ数年で、

 

私自身の

”私でない誰かが決めた(ように感じている)何かを

やらなければならない時間”

 

というものが、ほとんどなくなってきているように感じる。

 

家事とか、私の心の有り様が映し出されてそう感じるときは、あるけれど。

 

 

やらなければならないと思い込んでいて

自動的に、反射的にやっていること。

 

自分とそれの間に

”感覚と思考と意思”というワンクッションができたことで、

自分にとってのYesを感知し、その上で選択できるようになった。

 

 

自分で考える癖が身についていないと、

知らず知らずのうちに、ベルトコンベアに載せられてしまう社会構造だから

 

自分はどう感じるか

   どう思うか

   どうしたいか

   何を選択するか

 

これら自分の内側と常にコミュニケーションをとって

心と意識と現実を合わせていくことは、

 

わたしたちの誰もが求めている満ちた感覚で生きていくのに

とても重要なことだと思う

 

 

けれど、わたしたちの多くは、

幼いころからそのような習慣をもち、そうした経験や練習を

どれだけ積んできただろうか

 

 

 

子どもを授かってから特に

 

教育のあり方

について思いを巡らす機会が増えた

 

 

目の前のこの子たちにとって、

何かをしなければならない時間は極力減らし、

自由に創意工夫して遊べるだけの時間や、探究できる環境、

心が安心していられる場が、

とても必要であるように感じていた。

 

 

いま我が家の子どもたちは小学生になり、

宿題やテスト、ある狭い物差しでの評価

毎日家で過ごす時間にやらなければならない何か 

がない状態で

毎日を過ごしている。

 

 

彼らは困るどころか

時間はいくらあっても、

尽きることなく楽しいことを考えだし

一緒になって遊んだり

今はそれぞれひたすら何かをつくることに

夢中になっている

 

 

私は

勉強は好きだったし、真面目に言われたとおりにこなしてきたタイプだったから

学年によるノルマを意識して急ぐ気持ちなんかが

内側に染み付いた観念としてよく出てくるのだけど

 

 

 

子どもたちのキラキラ輝く目

好奇心や興味を持つこと

やりたいという気持ち

それを実践していく様子

目を見張る集中力


 

 

そんなとき

彼らにとって

 

時間とは


自ら生み出され起こっていくもの

 

のように私の目には写る

 

 

 

大人の頭の中の観念でなくて、

 

彼らの存在そのものを


見ると、感じると

 

 

いま私は

彼らとどう関わっていきたいか

いこうか


その選択が 覚悟が

すっと定まる気がするのだ。

 

 

実際、毎日は騒がしいし

だいぶ混乱するときもあるけど


一つ一つ 起こることに 出会っていく

 

 


ただ一人の女性であり、

未熟な母の姿は、

子どもたちにとってはもう見たままだし、

私が内省したことは、その場で子どもたちに正直にシェアすることにしている

 

彼らは何を感じているかのかな

 

 

私は彼らの生きた表情を守り

今この時点で最善と思われる環境を整えることに

多くのエネルギーを注いでいるけれど

 

彼らからの学びや気づきは、ほんとうにたくさんあるのだ。

 

 

 

・ ・・


最近、ミヒャエル ・エンデのモモを読み返していて

 

夜寝る前の、子どもたちの読み聞かせの本になっている

 

 

わたし自身の時間のつかいかたのことや

 

”時間貯蓄家”のありようが

どんなふうにまだあるかな

 

なんて、振り返っていました。

 


そしてこの気づきが、

わたしの思い込みと行動の間の

次のクッションとなり

 


急げ急げ

時間がもったいない


という

未だ残っている観念や行動から


より自由になっていけたらいいな

と願っています。