内なる娼婦性が 私たちを力づけるとき
私たちは
この世に肉体として生を受けてから
一人残らずすべての人が
サバイバルのために
自分自身の大切なものを売り渡してしまうかどうか
という場面に頻繁に直面することとなります
幼い赤ちゃんや幼児のころは
もしかすると例えば
両親のニーズに応えるため
自身の自然に湧き上がる感情そのものを
そうしてしまったかもしれません
大人になってからは
何かを得るために
思考が欲するメリットをとりたいがために
自身の心がyesと言わないことに
自分の命の時間
精神や肉体
大切にしたい信条 までをも
それらと引き換えに
取引してしまったことがあるかもしれません
この すべての人の中にある
生き延びるために備えられているギフト
象徴的な表現としての
”内なる娼婦性”
という性質それ自体は、一つの見方の側面であり
一概に私たちを害するものではないはずです。。
一つとても重要であり
私たちを勇気づけ 力づけてくれるのは
生きていく先々で必ず顔を出すこの性質を用いて
目の前に差し出されたものと
取引するか 否か
そこに発生した外側から受けた力を
自分自身のためにどの方向性に向けていくか
その舵は
いつでもすでに私たち自身の手元にあり
それを握り、選ぶことができる
ということです
私たちは
自身の内側がより大切であると思えるものを
その意思のもとで
売り渡さずに持ち続けることができたとき
その部分において
内なる娼婦性の光の側面を使って
より純粋な自分自身を表現していくこととなります
このことは、私たちの人生において
個の持つ光を強めていく
とても強力な相棒となり
その選択の 一つ一つが
自身への信頼と
存在の深い部分が望む方向性への道筋を
強く 太くしてしていってくれるのかもしれません
あなたは
内なる娼婦性を
どのように使っているでしょうか
あるいはどのように使っていきたいでしょうか
この問いは
もしかしたら
私たちのより深い部分が求める方向性への道のりを
大きく手助けしてくれるきっかけとなるかもしれません
love kazune